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温泉の浴場は溪ぎわから厚い石とセメントの壁で高く囲まれていた。これは豪雨のときに氾濫する虞おそれの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温泉なのだった。
「あゝ、高間さんの奥さん。――さうですね」
「お松は「い」の字と言う酒屋に嫁よめに行ったです。」
「えらい評判ですなあ。けつこうですよ。ぜひ話しに来て下さい。わたしはこんなにいつもひまですからな」
ごろごろする石の上を下駄ばきでは歩きにくかつた。房一は川から上つたまゝの濡草履をはいているので速い。盛子は空からになつた追鮎箱を手にして後からついて行つた。
彼は眩しさうに眼をしかめた。それから、酔つて居なくても同じやうにふらりとした足つきで河の方へつゞく露地の間へ入らうとした。そのとき、何を思つたか足をとめて、路上に突立つたまゝ上手の方を眺めた。
「ねえ!」
が、一隊がふたゝび町中にさしかゝつて来ると、汗と埃でよごれ、ゆるんだ表情の彼等に見られるありありとした疲労は、待ちうけていた見物人達にたちまち同情と心配をひき起した。今や、この一隊は紙衣の神官でもなければ行列でもなく、見物人達の良人をつとであり、父親であり、主人であつた。草履の代りに下駄が、下駄の代りに草履がはき代へさせられ、手拭を出し、熱い番茶を持つて来、中には自宅の縁側に悠々と一休みして行く者さへあつた。
町の一部では房一が「席を蹴立てて帰つた」といふ評判だつた。それが何か乱暴でも働いた、といふやうに伝つて、噂を聞いた老父の道平は河場からわざわざ様子を聞きに来た。
「え?いや、居ましたよ、居ましたけど、別に――」
男はじろじろと房一を見ていた。
川沿ひに細長く続いている河原町の通りは、地勢のせいでゆるい下り勾配をなしていた。所々で屋並みが切れて、そこには茶畑があつたり、空樽が乾してあつたりするかと思ふと、次の空地にはどこの家で使つているのか判らないやうな大きな井戸がその円く肥つた腹のやうな焼物の縁をたゞあつけらかんと日に照されていたりした。
とにかく快適に入っていられるのだから、体温よりちょッと高い目の三十七八度ぐらいだろうときめていたが、温度計を買ってきて測ってみたら、三十四度五分であった。もっとも、私の平熱は三十五度である。胃に冷感をうけるのは、やっぱり体温よりも低いせいだな、という当然なことが、その時になって、はじめて納得できた始末だが、体温と同じ水温なら入浴は快適だという結論も得たのである。