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と云ふ、思ひがけないほどはつきりした声で差し出した。そして、又淡泊なさつさとした足どりで台所の方へ去つた。
これは怪談どころか、一種の美談であるが、その事情をなんにも知らないで、暗い風呂場で突然こんな人物に出逢っては、さすがの柳沢権太夫もぎょっとしたに相違ない。元来、温泉は病人の入浴するところで、そのなかには右のごとき畸形や異形の人もまじっていたであろうから、それを誤り伝えて種々の怪談を生み出した例も少くないであろう。
房一は向ふへ行きかけた。徳次はさつきから云はうとしてまだ云ひ出せずにいることがあつた。それに何と呼びかけていゝかも判らない。房一の姿は段々遠のく。突然、徳次は散々思ひ屈した後に出るあの大胆さで大声に叫んだ。
「うむ、何かあ」
と後を追ふと、徳次は
と、小谷は人差指と中指を二本突き出して見せて、
が、その時、彼はすぐ傍でさつきから盛子がひろげたり畳んだりしている大きな紅い紙の袋みたいなものに目をとめた。
と、呟き、房一に向つてしきりとうなづいていた。
この廃坑は旧幕時代の末頃まではまだ採掘されていて、これあるがために河原町は当時幕府直轄の天領となつていた。そして、上流にある城下町の藩主が参勤の途上この河を利用して下る時、天領との間に何か紛争の糸口のつくのを憚はゞかつて、河原町の傍を通る間は舟に幕をはり、乗組の者は傍見をして下つたと云ふ。それほどであつたから、この領内の民は他領との縁組を嫌ひ、他領から移り住む者を許さなかつたし、狩猟とか交通とかその他様々な点で非常な横暴と特権とを許されていたものだつた。
他に通る人とてはない、この広濶な坂の一本路で、二人はいやでも顔を見合はさずにはいられなかつた。近づいて来る自転車の車体には房一の往診用の黒革の鞄と同じ格好のものがとりつけられていた。房一には相手が誰かといふ見当が今は疑ひなくついていた。恐らく、先方にも房一が判つたにちがひない。
すると、徳次はびつくりしたやうな眼で房一を見やつた。
病人は十七になる相沢の一人息子で、県庁のある市の中学寄宿生だつたが、軽い肋膜炎でかなり前から家でぶらぶらしているといふことは、昨夜来た使ひの者から聞いていた。
昨年の冬あたりから、何を思つたのか彼は写真に残つている先代のやうに髯をのばしはじめた。最初のうちはもじやもじやしたごま塩の汚たならしい色で、皆から可笑をかしがられてばかりいたが、のびるにしたがつて白味を加へ、似合つて来、そのあることがあたり前にさへなつていた。殊に病中には、彼がもどかしがつて口をあくあくさせる度に、髯のはしがびりびりふるへ、はね返り、遠くにいても彼が何か云ひたがつていることが判つたくらいで、したがつて彼の身にもついていれば、はたの者の目にもすつかり馴染まれていたのである。